コミュニケーション
スムーズな会話であったとしても、そこに深いコミュニケーションがあるとは限らない。
以下、「読書をする人だけがたどり着ける場所 齋藤孝著」からの引用。
「コミュニケーションにも浅い・深いがあります。表面的なやりとりに終始し、信頼感も生まれにくいのが浅いコミュニケーション。コンビニで飲み物を買ったときに、店員さんと目も合わさずに「お願いします」「ありがとうございました」と言葉を交わしているのだってコミュニケーションには違いありませんが、ものすごく浅いレベルのものです。そのコミュニケーションが記憶に残ることはないでしょう。」
「しかし、同じようなシーンでも深いコミュニケーションは可能です。私は、コンビニで外国人の店員さんと話をする間柄になって、彼が彼女と別れたということまで聞いていました。相手の状況を認識して、心のこもった言葉をかければ途端に深くなります。「深い部分に触れた」感覚はいいものです。短い会話でも、それが1日を気分よく過ごすきっかけになるかもしれません。」
筆者のように、コンビニの店員と深いコミュニケーションを取るということはなかなかできないように思うが、それぐらいの気持ちで人とコミュニケーション取るようにしていきたいと思う。
この場合は、コンビニの店員という、なかなか関わりの薄い人との関係を例に挙げているが、私たちは、コンビニの店員より関わりの濃い、職場の人、友達、家族、恋人とどれだけ深いコミュニケーションが取れているだろうか。
浅いコミュニケーションは、味のしない食べ物を食べているような気持ちになる。
コミュニケーションをとっているのだけれど、気持ちが通じていないから、コミュニケーションをとっているはずなのに、寂しい気持ちになる。
一方、相手の深い部分に触れるということは、とても心地よいと思う。
この心地よいという感覚は、言語を通したコミュニケーションに限らないのではないか。
例えば、スポーツをしているときに、チームメートと言葉を介さずにコミュニケーションを取り、パスを繋ぐ。
このとき、相手との間には、心地よい感覚が流れる。
だから、スポーツで深いコミュニケーションが取れる人は、スポーツであってもいいと思う。
せっかく人と関わるのであれば、深いところで繋がりたいと思う。
そのために、浅いコミュニケーションをコミュニケーションだとは捉えず、少しでも深いコミュニケーションができるようにしていきたい。
読書をして教養を広げ、コミュニケーションをするときには、積極的に自己開示をする。
相手の考えを言語的、非言語的な要素の両面から捉え、会話をする。
そして、深いコミュニケーションが取れる魅力的な人になりたい。