裸の自分を曝け出せ
不器用な自分。
「不器用なところがあるから、なかなか上手くいかないんだよね。」と言いつつ、
心の中では、そんな自分を愛おしく思っていたりする。
長年付き合ってきた自分の性格。楽しい時も辛い時も、いつだって共に歩んできた。
だからこそ、不器用な自分を克服しようとはあえて思わない。
上手くいかない自分だからこそ、人の悲しさや痛みが分かる。
上手くいかない自分だからこそ、言葉に気を遣うことができる。
弱い部分を抱えながら生きていくってことは、人として弱いということではなく、むしろ、強いという事ななおかもしれない。
弱さは、強さ。この感じに辿り着くまで長く時間がかかった。
もちろん、不器用な自分に苛立つことはこれからもある。
だからといって、そんな自分を嫌いになるわけではない。
むしろ、そんなことを思い、乗り越えるたびに自分への親しみの気持ちが増していく。
自分に親しむなんて変な感じがするが、こう思うのだ。
自分は自分であって自分ではない。
少し上の方から、自分のことを俯瞰してみている感じだ。
「やりたいことをやるために、好きなものを好きだと言うために、僕らは生まれてきたんだ。」坂爪圭吾著からの引用
生きるのが下手とか、不器用だとか、悪く言われるけど「不器用に生きることで、純粋な部分を守り続けている」のだと思う。
純粋であることは、器用に生きることより、ずっと素晴らしいことだ。
だから、生きづらさを悩むことがあっても、大事なものを明け渡さないで、そのままで生きていてください。私はそう思う。
不器用な自分を格好つけずに曝け出し、包み隠さずに好きなものを好きだと伝えていきたい。
それぞれの好きを伝え合える関係こそ、深い関係なんだ。
格好つけて、本当の自分を隠して、好かれるくらいなら、
不器用な自分を曝け出し、嫌われてしまえ!!