怒鳴り声で目を覚ます
8月1日、自分の怒鳴り声で目を覚ます。
この日、私は子供たちの夢を見た。
夏休みに入ってからも、子供たちの夢はよく見る。
大体がいい夢ってよりは、子供との関係が上手くいかなかったといった嫌な夢だ。
今日の夢も同じ。
私の指示を聞かずに、舐めた口調で反論してくる子供と向かい合っている場面だった。
ここら辺で目を半分覚ました。
けれど、まだ意識の半分は夢の中。
私は、ああこれは思いっきり叱ろうと思った。
大きく息を吸い込み、「ふざけた態度取ってるんじゃない。」と叱った。
あろうことが、その声は夢の中だけででなく、現実の世界でもこだました。
「今のは叱ったのか?ただ怒鳴っただけじゃないか。」
そんなことを思いながら、体を起こした。
それにしても、怒鳴って起きるというのはまずい。
ここまで思い悩んでいたのかと悲しくなる。
怒鳴られた後の子供の表情が頭にこびりついて離れない。
怒鳴って指導しても、変わらないなと痛感した朝だった。
朝から嫌な思いをした。
けれど、その夢は同時に自分の指導方法を見つめ直すチャンスになった。
これはどうにかしないとと、心の底から思った。
私は、そのとき「人を動かす D・カーネギー著」の本のことを思い出す。
昔付き合っていた彼女が、読んでいてお勧めしてきた場面が急に蘇ってきた。
大学は、心理学部に通っていたから、心理学を使って人の行動を促すという考え方には馴染みがあった。
大学生の頃は、勉強するたびに、「この考え方を使って人に関わってみよう。」とよく思ったものだ。
けれど、あるときふと、心理学を学んで人と関わると打算的に人と付き合っていくことになって、何だか嫌担った。
それ以来、心理学(学習心理学、社会心理学)を学ぶ機会を避けてきたように思う。
それよりも、人と寄り添っていくためには、認知心理学的、臨床心理学的な考え方を学ぶ方がいいのではないかと思い、学びの対象を移していった。
今日改めて、心理学を使って(認知心理学や臨床心理学以外の分野も含んで)いこうと思ったのは、
人との関わり方を学んだとしても、打算的に人と付き合っていくことには、必ずしもならないのではないかと思ったからである。
大きい声で、怒鳴るのではなく、
人の行動特性、感情の動きをよく理解して、教育をしていきたいと思った。
これから、「人を動かす D・カーネギー著」を読んでいく。