窮屈な世の中
「人に迷惑がかからないように」という言葉は、ときに呪いのように行動や言葉を締め付ける。
電車に乗って、周りを見渡す。目に入ってくるのは、眉間に皺を寄せ、疲れ切った表情でスマホを覗く人たち。
ガラスに映る自分も例外ではない。
一体私たちは何にそんなに疲れているのか。
多様化した現代社会は、多くの人が「自由」という旗をそれぞれに掲げ、自分の権利を主張している。
しかし、権利を主張する姿から、「自由」とは程遠い印象を受ける。
むしろ、自分のことを守ろうと必死で、そこに一人一人の「自由」はなく、息苦しさが伝わってくるのは、私だけだろか。
「人に迷惑がかからないように」という言葉を小さい頃から聞かされてきた私たち。
いつしか、その言葉が肥大化して、「自由」の範囲を狭めてしまったのではないか。
そもそも、「人に迷惑がかからないように」生きられるということは、人間が集団生活を送る上で不可能である。
人は、人に迷惑をかける生き物なのだ。
お互いの足りない部分を補い合うからこそ、集団として生活できてきた。
「お互い様」という言葉がある。この思いがあったからこそ、互いに優しくなれ、自分を守る必要がなかったのではないか。
今の社会では、「私は人に迷惑をかけないようにしているのだから、あなたたちも私に迷惑をかけないで。」と考えている人が少なくないように思う。
人に迷惑をかけない人などいないのに。
「人に迷惑をかけない」ではなく、「お互い様」と思って生きられたら、もっと優しい社会になるはずなのに。