「遊ぶこと」の大切さ
仕事のやる気を出すために
僕は、子供と一緒にいるのが好きだし、教えることも好きだから、教員という仕事をしていて楽しい。子供の成長している姿や、楽しいそうにしている姿を見ていると、大変な思いも吹き飛ぶ。
そんな自分の好きな仕事ができているのだから、プライベートで遊ぶことをそこまで大切にしなくてもいいかなと思っていた。
しかし、最近「遊ぶこと」の大切さをひしひしと感じている。
「遊ぶこと」のメリットとして、4つを考える。
- 仕事とプライベートのメリハリがつく。
- 遊ぶために、仕事を早く終わらせようと思い、仕事の効率が高くなる。
- 自分の教養が深まる。
- 自分の夢中になれる遊びをすることで、無心になり、雑念が消える。
遊ぶとはどういうことか
「遊ぶこと」を充実させることで、仕事にもいい影響を与えることが想像できる。
しかし、今までこれをしているときは、他のことを忘れて夢中になれるという趣味をもったことはないし、自分の中でわくわくするような遊びは何かと考えると、とくに思いつかない。
子供は遊ぶことが仕事。遊びの天才。と言われる。
そんな子供の真似をして、
ドロケイや鉄棒をしていることが、大人の「遊ぶこと」と一致するように思えないし。
子供と大人の「遊ぶこと」は違うのではないか。
辞書で「遊ぶ」を引いてみると、
離れた土地に行って風物を楽しむ。という意味が載っていた。
また、「遊離」という言葉は、
「遊ぶ」と「離れる」という感じが合わさってできた言葉だ。
これらのことから、
遊ぶ≒離れる だと考えることもできると思う。
そこで、「遊ぶこと」は、日常生活から離れることではないかと考えた。
「遊ぶこと」の最大化
「遊ぶこと」が、日常生活から離れることだと考えると、
日常から、物理的に大きく離れたこと。
例えば、海外に旅行すること。
また、精神的に大きく離れられること。
例えば、釣りをすることが趣味で、釣りのことを考えるだけでわくわくするし、暇があればネットショッピングでルアーの検索をしてしまう程の趣味をすること。
このように、物理的、または精神的に日常から大きく離れられるとき、
「遊ぶこと」は最大化され、「遊ぶこと」のメリットが高まるのではないか。
自分にとっての日常から離れられる遊びとは
まず、物理的に日常から離れられることを考えると、旅行がある。
とくに、海外旅行だ。
僕は、海外旅行を行った経験は多くないが、日本では経験できないことをしているときにわくわくした気持ちになれる。
アジアのマーケットが好きで、見たこともない魚が生きたまま売られている光景や、生肉をさばいてる光景を見ていると、血がぐわっと湧き上がるように興奮する。
次に、精神的に日常から離れられることを考えると、、、
これがなかなか思い浮かばない。
僕は、料理が好きだ。
でも、料理は日常的にやることだから、精神的に日常から離れることにはなりにくい気がする。
そこで、考えた。
普段買わないような食材を買って、じっくり時間をかければ、自分の好きな料理でも、精神的に日常から離れられるのではないか。
さっそく実行した。
ラタトゥイユを作ることにした。
買ったものは、バジル(乾燥ではなく)、にんにく(青森県産)、ズッキーニ、ナス、トマト、パプリカ(赤・黄)、オクラ、真鯛の刺身。
普段の生活では作らないものだ。
これは、わくわくした。
作ってるときは、バジルと、にんにくをオリーブオイルで炒めるにおいを嗅いでるだけで、彩りよくラタトゥイユを皿に盛り付け、その上に真鯛をのせ、バジルの葉を散らすだけで、幸せな気持ちになった。
日常生活から離れた遊びをいかにつくれるかが大切
物理的、精神的に日常生活から、離れた場面をいかにつくれるかが、
「遊ぶこと」を最大化させることにつながる。
そのことが、充実した仕事にもつながるだろう。
今後は、自分の時間、お金を何に使えば、「遊ぶこと」が最大化されるか考えていきたい。
真剣に働こう、真剣に遊ぼう。